歴史に翻弄された浅井長政の三姉妹に想いを馳せる「京都・養源院」

養源院の寺名は浅井長政の院号からとられた。浅井長政の菩提寺。養源院は、豊臣秀吉の側室「淀殿」が、秀吉により自害を命じられた浅井長政の二十一回忌の供養のため創建した。

養源院には、浅井三姉妹が大きく関係しています。浅井三姉妹とは、浅井長政と戦国一の美女といわれた織田信長の妹・お市の間に生まれた三姉妹、長女「淀」・次女「初」・三女「江」のこと。

淀殿は豊臣秀吉の側室となり、三女の「江」は徳川秀忠に嫁ぎ、淀とは敵対することとなります。「大阪夏の陣」の戦で淀は、自害してしまいます。

次女の「初」は、京極高次に嫁ぎ、大阪夏の陣の際には、姉妹が嫁いだ豊臣・徳川家の関係を修復するために奔走したといわれる。京極高次が没後の後年は常高院と名乗り、出家しています。

戦国時代を生き抜いた三姉妹の波乱万丈の生涯を、ここ養源院で想いを馳せてみることも感慨深いものです。

また養源院は一度焼失し、徳川秀忠の妻「江」が伏見城の遺構を移して再建しました。養源院の本堂には「血天井」があり、これは徳川軍・鳥居元忠が石田光成との「伏見城の戦い」において落城の際に、自刃した鳥居元忠ら武将たちの血の跡がついた板を天井に使用したもの。

アクセス 京都市東山区三十三間堂廻り町

京阪電車 七条駅下車 徒歩約10分

市バス 博物館三十三間堂前 下車徒歩約5分

ではまた次回お会いしましょう。