建仁寺は、京都東山・祇園のそばにある京都最古の禅寺、栄西禅師が建仁2年(1202年)建立した。俵屋宗達の「風神雷神図」や法堂の天井に描かれた「双龍図」が知られています。
建仁寺の塔頭のひとつ「摩利支天堂」は、禅居庵を守る鎮守神として摩利支天が祀られたのが始まりとされています。開運勝利のご利益があると、全国から沢山の参拝者が訪れます。秘仏として年に1回10月20日の大祭に公開される以外は非公開です。また、「日本三大摩利支天」のひとつです。
境内には摩利支天のお使いといわれる猪がいたるところに鎮座しています。
インドの神様「摩利支天」は、7匹のイノシシ乗せに乗る唯一の護法神といわれる。
京都「ゑびす神社」は、建仁寺「摩利支天堂」のスグ前に位置する、こじんまりとした神社です。建仁2年(1202年)に「建仁寺」建立にあたり、その鎮守として建てたのが始まりとされています。伝承では、建久2年(1191年)栄西禅師が宋(中国)からの帰途、船が暴風雨にあい遭難しそうになったときに、海上に恵比寿神が現れ、助けてくれたといわれています。西宮・大阪今宮神社と並んで「日本三大えびす」といわれ、「えべっさん」と呼ばれ親しまれています。
ゑびす様と切っても切れない笹は、元来京都ゑびす神社の「御札」の形態が広まったものといわれています。笹は弾力があり折れない、葉が落ちず常に青々と繁ることから、家運隆昌商売繁盛の象徴とされました。
ゑびす様におまいりし、お願い事をするときの注意書きは、ゑびす様の肩をたたくお詣りです、ノックをされるように優しくトントンと叩いてからお願いをすると書かれています。
「火除天満宮」は京都の寺町四条下る、藤井大丸の東側にビルの横に位置し、訪れる人もほとんどない、ひっそりと佇む小さな天満宮です。
1579年九州での戦乱を避けるため、菅原道真公の像を背負った老神官が入洛し、京都六条通りに祀ったのが始まりといわれる。1587年に烏丸二条辺りに大雲院の鎮守社として迎えられ、その後現在地に創建される。
1864年の蛤御門の変ではこの一帯だけが火事から逃れたといわれ、学問成就とともに火除の神様として信仰されています。
境内には、藤原道真公の「「使い牛」が神様のお使いとして座しています。それとどんないわれがあるのか解りませんが、石を祀っていました。
ではまた次回お会いしましょう。